高崎の山車は、享保二年(1717)頼政神社の祭典から記録に見え、それが明治二年(1869)ごろまで続いた。
その時は、飾り屋台と言われたもので、明治二年には24台あった。 明治維新により、頼政神社の祭りがすたれ、せまい屋台小路を通る必要もなく、それ以後、二段の櫓(やぐら)を組み迫りがつき、 梶取りのついた大型の山車がつくられたが、やがて市内に電車が走り、電線が張られると大型の山車は運行できなくなり、他町へ売られたりしてしまった。そして再び明治末、大正、昭和にかけ、数多く小型の山車がつくられていった。本町一丁目の例でみても、一台目が、明治五年(倉賀野町へ売却)、二台目が大正十年(田町へ売却)、三台目が今の山車で、昭和三年につくられた。 江戸期の飾り屋台を入れると少なくても四台以上の山車がつくられてきたことがわかる。現在まで290年の歴史を有することになる。(当日いただいたパンフレットより) |
こちらはお神輿。私たちが見たのは2基だと思います。交差点の真ん中で降ろして一本締めをしています。 | |
山車は全部で38台あるそうです。日本一の保有台数だそうです。平成12年の市制100周年の時は38台が勢ぞろいしたそうです。すごいですね。想像がつかないです。それ以外の年は輪番制で半分づつが出るそうです。今年は南地区、東地区の出場でした。石原下という町は4台あるようです。 |