相馬、原町、動画、画像、写真、甲冑競馬、神旗争奪戦、祭場地、騎馬武者、戦国絵巻、羊腸の坂、見物客、

masakoのお祭り見聞録

2005編

町の様子

ハアー 遥かかなたは 相馬の空かヨ

相馬家の始祖「平小次郎将門(たいらのこじろうまさかど)」は今をさかのぼることこと一千有余年の昔、相馬御厨(みくりや)の官職にあった頃、新しい軍事力として馬の活用を考え、下総国葛飾郡小金ケ原(現在の千葉県流山市付近)の牧に野馬を放牧し、関八州(北関東八ケ国)の兵を集め、野馬を敵兵に見立てて野馬を追い、馬を捕らえる軍事訓練として、また、捕らえた馬を神前に奉じ妙見の祭礼として行ったのに始ったと言われる。
その後、元亨3年(1323年)、相馬氏はそれ迄不在にしていた奥州、行方郡(現在の原町市)に移り住んでからも、代々の相馬藩主が、明治維新までこの行事を連綿と続けたのであります。

パンフレット原文のまま

車は第二小学校に止めました。無料です。

帰りに街中に行ってご飯を食べて帰ろうとしましたが大渋滞でなかなか近づけません。しかたなく待っていると交通整理の人から街中に行くのは無理、帰るのだったら6号線は右に曲がれば出られますといわれ、しばらく迷いましたが信号が何回変わっても進めないので諦めて帰ることにしました。

町の空気だけでも吸いたいと思ったのですが…


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